はじめに
筆者は幼少期より「幽霊や心霊現象が実在する」と信じているのですが、それを確信する経験はしたことが無いのです。こういったポジションにいると、現在の心霊関係のもろもろの現状において、個人的に困っていることがあるため、その理由も考えて併せてまとめてみました。同じようなポジションの方のご参考になれば幸いです。
※心霊関連の創作物に関する批判を一部含みますが、霊的なものが実在するかしないかという観点を除いて、個人的には許容しています。
その① 決定的な証拠が無い
まず、第三者的に「これは幽霊だね」と断定できる決定的な証拠が見つかっていないと感じている点です。厳密には「信じようと思えば信じられるかもしれないが確信は持てない」と思うくらいの証拠しか見つかっていないように感じます。心霊写真や動画など。
写真であれば、構図による錯覚や残像、あるいは、機械側の不具合であると推定できてしまうシチュエーションが多いように感じますし、動画であれば単なる影の動きなどが多いように思います。音声であれば、動物の鳴き声や物体が擦れた音などの環境音がそれっぽく聞こえただけなど。
心霊現象を検証するテレビやyoutubeなどの番組の場合、人が動くことによる床の軋みや、動きや声による振動による物体の落下などを心霊現象として扱うものが多いと感じます。
特に、これほどスマートフォンによる撮影が全盛を迎えているのに、心霊写真や心霊動画の観測報告が減ってきている気がするのは、もしかしたら霊的なものは存在しないのかも、と感じてしまう一因と感じています。
その② 話者に問題があるという邪推をしてしまう
その①の懸念もあり、幽霊や心霊現象が表現されるのは写真や動画という媒体というより、文章という形式であることが圧倒的に多いと感じています。
その場合、主観によって書かれるため、話者が「夢」「幻覚」「妄想」などの状態にあったのではないか、という邪推が出てきてしまいます。特に、話者だけが霊的な現象を感じていて、そのほかの登場人物がそう言ったものを検知できていない状態が描写されている場合についてです。
大体の話者が「普段やらないアクションなどをしている状態(肝試し・入院など)」「過度な疲労のある状態(徹夜をしている・不眠が続いているなど)」「精神的に不安定である状態(失恋・身近な人の死など)」「幼少期でありおそらく記憶が曖昧である状態」などであり、その場合は急に気絶や寝落ちをしてしまって夢を見ていたり、朦朧とする意識の中で幻覚や妄想をしてしまったのではないか、という邪推がどうしても拭えないからです。100%健康体、かつ、日常の中での心霊的な体験のお話があれば、興味があります。
余談ですが、筆者は高熱で入院した時、自分につながっている点滴のチューブが踊り狂う姿を見ましたがこれを心霊現象とは認めていません。
その③「存在しているかどうかわからない」ことを楽しむエンターテインメントとして扱われている
霊的な現象を表現したものが文章が多い、というのは前述のとおりですが、ここで話したいのはそれらの文章について、エンターテインメントとして創作されたのではないか、と感じてしまう点です。そう感じてしまう原因となるポイントは下記あたりかなと考えています。
- 文章がうまい
- 語り口調が酷似している
- 「自分が本当に経験した」テイのフィクションが許されている
「文章がうまい」については、大体のそういった話がストーリーとしてよく整理されている、文章力が高い、といった特徴を指しています。もし本当にこういった現象が存在するなら、誰しも体験するはずです。その中には文章が上手い人も、もちろん、下手な人もいるはずです。にもかかわらず、うまい心霊文章が大半なのが疑問です。反論としては、霊的な経験があって文章がうまい人が各種媒体に文章を残しているだけであって、霊的な経験をしたが文章が下手な人は文章を残さないだけ、というものは想定できますが。
「語り口調が酷似している」点については、なんかこう、こういったジャンル独特の語り口調がみられることを指しています。過度な語り口調というか、「ええ」とか「はい」とかの感動詞が多い感じですかね。あと、他の類似の心霊現象・オカルトとかについての解説が入ったりすることも多い気がしています。そのほうが、臨場感があって伝わる、のかもしれませんが、そういった計算が入ることも含めて、上述の「文章がうまい」と一層感じてしまいます。ただ、霊的な体験を語りたいのであれば、表現を工夫したりストーリーじみていたりする必要はないのですから。
「『自分が本当に経験した』テイのフィクションが許されている」点については、この領域の最も扱いが難しい部分であると思います。ただ、「霊的な現象が存在しているかしていないか」という観点では、とても重要な要素です。ただでさえ真偽の証明が難しい領域であるにもかかわらず、「本当に自分が経験した話である」としながら、嘘の文章であるならば、それは真実が遠ざかる行為となってしまうからです。霊感が無いが霊的存在を信じている者にとって、これらの存在は少し不都合です。
都市伝説・オカルトというジャンルは嘘か本当かわからないものを大衆に認識させることによって真実味を持たせるタイプのジャンルなので仕方がない部分があると思います。その結果を以て、1つの霊的な現象と見做せるという意味で、ですが。
総括
結論ですが、今回の考察を経て『真実』とは「どこまでの曖昧さを許容するか」(どこまで信じ込めるか)ということだと考えさせられました。心霊に限らず、結局、人は「自分が信じられるものを信じている」に過ぎないのだろうなと。
「自分が体験したから真実」ということもありますし、「有名なインフルエンサーが言っているから真実」「みんなが利用している報道機関が言っているから真実」「教科書に書いてあるから真実」「ホームレスが言っているから嘘」「年収低い人が言っているから嘘」などなど判断することはあるかと思います(もちろん、それらの場合でも判断が誤っていることは往々にしてあると思いますが)。その中に「実際に心霊現象を体験したと人が言っているから真実」と思うのか、「自分が体験してないから嘘」と思うのか、どちらに振れるかの違いだけなんだろうなと。
加えて、対象によっても許容度のしかたは変わると思うので、筆者の場合は心霊系の出来事に興味があり、自分の目で見たいと思い、ゆえに、他の媒体を信じられず、さらに追い求めているのだろうと思いました。それと、上記のような例示においてわかるように発信者もその情報を信頼するかの根拠の判断に使いますが、まぁ「心霊現象の専門家」っていうのがあったとして「心霊現象」が真実かわからない状態なので信用しようがないのも困りものです。

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